2013-05-15

他に方法があると思えないからです


震災から2年ちょっと。
ようやく少しずつ言葉が集まってきた気がするので整理してみる。

当時震災直後親に「卒業して仕事も無いし(フリーターだった)恋人もいないし、特にする事もないんだから帰ってきなさい」と言われ、日本中大混乱の中、反論する言葉も見つからず友達と挨拶する暇もなく5年間の荷物を一日でまとめ親と一緒に実家に戻ってきた。

卒業して半年、コンビニとレストランのバイト掛け持ちでなんとか生活費を稼ぎ恋人と呼べる人もいなかったのは事実だし日本に「絶対」残らなくては行けない理由は私には無かった。と親も自分でもそう思っていた。

でもそうじゃなかった。

私にはどうしても一緒に作品を作って行きた人がいたのだ。
もう一生出会えないかもしれない面白いものを作る人なのだ。
それは今でもそう思っている。


地震はあまりに突然やってきてその後もびっくりする暇もない速さで物事が動いていた。その事を頭で理解していたものの意識が置いてきぼり状態になっていたのだった。

楽しみにしていた目の前のケーキを後は口に運ぶだけと言う瞬間にガバって誰かに取り上げられたあの感じ、分かるかな?「え?」ってなるでしょう?何がどう起きて何をどう反応していいか分からないあの小さなパニック。私はその状態が2年間続いていた気がする。ちょっと大げさだけど。



「あのことが起こっていなかったら今の自分はいない」って言う考え方はあんまり好きじゃない。それは別の選択肢にも言える事だし無理矢理いい結果だったと自分に故実けているみたいだから。本当にいいと思っている結果だったらあんなセンスのかけらも無い言葉を並べたりしない。

例えばケーキをとられた事によって無駄なカロリーを摂食せずに済んで結果的に健康とスリムなナイスボディーを手に入れたとしてもそんな事はどうでもいいのだ。

「あの時のあの瞬間のあのケーキが食べたかったのに食べられなかった」
これは揺るぎない事実として永遠に存在しているのだ。

震災によって自分がどんなに一皮剥けて成長しようとも「あの時のあの自分のあの衝動であの人と作品が作れなかった」後悔を心の底どころか体全身と魂がしっかりと覚えている。


本当に縁があればいつかきっとまた会えるとついこの間まで強く信じていた。
絵と音楽で出会ったあの人とは絵と音楽を続ける事によっていつかどこかでまた繋がるという思いがこの2年間理解と意識がはなればなれな状態を繋げてきた。

でも同時にこれは本当であり嘘かもしれないと薄々感じていた。

何か深く続けることによって繋がる何かは本当だけど「あの時のあの自分のあの衝動であの人」と作品を作る事はもう一生無いからだ。
私はもう一生にあの失ってしまったケーキを食べる事は出来ないのだ。



だからといって宇宙には何の関係もなく地球は次の瞬間も回り続け日は昇り日は落ちる。

過去にも未来にも期待出来ないと知ってしまった今は嫌でも日々を自分の行動で自分は生きて行くしかないと嫌々認める。







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