2012-10-25

山僧歌


山居の生活が、どんなにすばらしいかとお尋ねなら 朝起きるのはすでに日が高く昇ってからで、寝るのも早い。 自然ばえのやわらかい草を衣とし、中食は松や柏を食って、いつも足りている。 崖の洞穴で横になり、石を枕に眠り、一抱えの藁くずを寝具とする。 一陣の風が、自然に掃除してくれる。

わたしは、山に独り隠れて、本当の道を楽しみ、 世の雑事のあれこれに、心を煩わすことはない。 岩山のほとりで、ただ気の向くままに遊んで、 いつも乱れ飛ぶ鳥の急ぐのを見るばかり。 念仏鳥が、はっきりと呼び、ピークックツと、笑いを誘う。
鹿やのろの子が、列をつくって行き、猿が石の上でさか立ちして見せる。 林中の鳥の声は実に様々で、さらに醍醐あり、美酒を買うにもひとしい。 冬は、もの淋しい叫び声がいつも聞こえ、凍りつくような音もするが、 春は、山鶏が枯れ枝をよじ、花の枝より飛び下りる。 山の姿に見とれて、石ころにつまずき、立ち上がろうともせずに、 翌日の暁まで眠ってしまう。

人は私を馬鹿だと言うが、自分では、いとも閑かで何の煩も無いと思っている。 木の実を食らい、草を綴って着る、こんな粗末な暮らしを、 盗人が来て荒らすはずがない。 行住坐臥、毛の端ほども心にかかることなく、影はわたしの後ろに、 どこにでも付いて来る。

真如を語り、生と老いの悩みもなく、人は皆、誰も菩提の真理をもつのに、 ただ貧愛によって無明の心を起こし、永劫に輪廻して、鞭のしごきを受けるのみ。 煮え返る釜の湯、人を粉にする臼、罪を作った人々は、閻魔様に取り調べられねばならぬ。 たとい地獄で幾年を経ようとも、ひたすら苦しいうめき声をたてるばかりで、果てしないのだ。 私はつぎのことを、世の人々にすすめる、心配するなかれ、 かならず智慧の光で内と外とを照らすのだ。



どんなに財宝を他人に施しても、死ねば、三途の苦を独りで引き受けねばならぬ。 業ある人は多く、業無き人は少ない、それでブッダは三乗の教えを説かれた。 ブッダは像教によって迷える人を誘うと言うが、 実はほかならぬ各自に、本当の道があるのだ 。